名古屋仏具卸商協同組合は、高品質な仏具をご提供させて頂きます。
名古屋仏具卸商協同組合とは
名古屋では、江戸時代初期より、仏壇・仏具の生産が盛んに行われてきました。その背景を少し説明します。
名古屋は、江戸時代に入り尾張徳川家の政策により、城下町として整備され栄えました。徳川家は、戦になった時の前線基地の役割を担う寺社を、名古屋城下を中心に数多く建設し、保護しました。その名残で、現在でも愛知県は全国で一番多くの寺院があります。また、徳川家は森林資源の保護政策を実行しました。木材伐採に厳しい制限を設け、これを守らずに木を切ると、「木一本、首一つ」と言われる程、厳重な取り締まりを行いました。そのお陰と共に、木曽川が材木輸送路となり、名古屋は良質な木曽桧の集積地になりました。また、三河地方では足助町を中心に、優良な漆が産出され、日光東照宮造営にも大量に使用されました。金属加工においては、尾張では刀装小道具の鍔生産が盛んで、技術が磨かれました。
このような状況を基盤として、寺社仏閣を建設した宮大工・寺大工などの技能集団が仏壇・仏具を製作するようになり、また、下級武士が内職として製作を担うことによりさらに発展し、産業として確立しました。
さて、仏具には大きく分けて、一般家庭で仏壇の付属品として使われる在家用仏具と、寺院の本堂等に祀られる荘厳仏具があります。名古屋ではいずれも製作してまいりましたが、一つの仏具を製作するには、多くの手が必要で、仏師・木地・彫刻・塗り・金箔・蒔絵・彩色・飾り金具・木魚・撥・神祭具・打敷等の職人さんによる分業制で成り立っています。戦前明治期より、我々のような製造卸問屋が、各種職人さんに仕事を依頼し、出来上がった物を自らが組み立て、最終製品に仕上げ、全国の小売店様に卸してまいりました。戦後になり、業界の規模が急激に拡大し、昭和38年に、名古屋市内で製造卸を行う事業者によって、当組合が設立されました。
名古屋では、技術力の高い豊富な職人さんの力により、あらゆる種類の仏具を製作してまいりました。また、小売店様のご尽力のお陰で、全国津々浦々に至るまで、仏具を供給してまいりました。その結果、全国随一の仏具生産地、仏具流通の一大集散地になりました。これからも、この重要な役割を担っていくことが当組合の使命と考え、職人さんの後継者問題、等の課題に取り組んでいきたいと思います。